サイトアイコン たーちゃんの「ゼロよりはいくらかましな」

速読を追い求めていたけどやめました。

DGlodowska / Pixabay

速読って、効率や時間短縮の面からみても
出来たらいいなぁと思うスキルの1つですよね。

何かパラパラとページをめくって
両手で本をパタン。

「なるほどね」

言ってみてぇっ!って感じになりますよね。

でも、本当に速読っていいことばかりなんでしょうか?
ちょっと立ち止まって考えてみました。

かつては追い求めていた速読のスキル

それはまず目を速く動かすことから!

ということでした。目を上下左右にグリグリ動かしたり、
上下に点滅する点を目で追いかけたり・・・。

この手のトレーニング支援をしてくれるものは
web上を探せば溢れるほどありますよね。

フォトリーディング

速読に触れたことのある人であれば一度は聞いたことが
あると思います。

ページを写真のように画像として記憶していくというものです。

速く読むってそもそもどういうこと?

速く読めるようにはなったものの・・・

トレーニングをしていくと、
次第に速くは読めるようになってきました。

でもなんでしょうね。
文字の意味を理解は出来ていますが、
楽しくない。

速読ってどうなっていればいいんだっけ?

本を読むことが義務みたいに感じ始めていました。
目次をじっくりみて、この本が何を伝えようとしているかを
イメージして・・・、パラパラパラ。

何を言いたいかはわかったし、勉強にもなった。
でも、なんだろうなぁ。
本を読むというよりは「消費」している感覚になりました。

もっと普通に楽しんでも良いのでは??

本を読むという行為をじっくり楽しむ

もっと楽しもうと思い直しました。
文字に書かれていることを速く理解しようとして
文字の意味を追いかけているだけになってしまっていました。

身勝手でわがままでいいじゃないか!

文字を読みながら、自分の考えに思いをめぐらせ、
自分の体調や気持ちに合わせて、
ゆっくり読んだり、ページを繰るのが待ち遠しかったり。

読書とは元来どこまでも身勝手でわがままに行って良い
ものだと思いました。

誰に迷惑かけるわけでもないですしね。

でも、速読のトレーニングだって無駄じゃなかった

小説なんかはゆっくり情景を楽しみながら読むようになり、
ビジネス書は以外にも速読のトレーニングが生きていて
目が勝手に興味のある言葉を拾ってくれるようです。

自分の目の感覚を信じて、身体を預けている感じですね。
「ここが必要な情報だよ!」と反応してくれるように思います。

今思うこと。

結局、速読のスキルも手段であって目的ではなかったです。
読書は、読む量が増えれば知識が増えます。
知識が増えれば言葉の理解が速くなります。

結果それが究極の速読術なんじゃないかと今は思っています。

僕はこれからも好きな本を好きな時に好きなように
好きなスピードで読んでいきたいと思っています。


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